2011年11月12日

乳がん記録R 〜術後6年検診まで〜

2011年に入り初投稿なので覚え書きを*

昨年11月12日
定期的な外科問診
体調確認とわずかな世間話。
ホルモン剤を今後続けるか否かは次回に持ち越し → 3か月分処方箋を出してもらう。

2月1日
定期的な外科問診
ホルモン剤を続けるか否か → 私も主治医もやめる方向で合致。
私が決めた理由としては 「 標準治療は当に期間を超えているし、そろそろ体を正常に戻したい 」 という至って単純な理由。
主治医もほぼ同じ考え。
また連日寝ると咳込むことが続き、そのためか肋骨辺りも痛くなり始めたため相談。
結果、念のため整形外科の診察を受けることに。
この時点で肺転移および骨転移の不安マックス。
(咳は喉から出ている感じで肺からの深い感覚ではなく、この時点でやんでいたためCTは様子を見て撮ることに)

2月14日
整形外科初診
問診・レントゲン撮影 → 異常なし.
痛みはまだややあり。

2月25日
整形の結果を踏まえた主治医の見解を聞きに外科へ。
この時点で咳も骨の痛みもなし。
また異変があったら、すぐ連絡を入れることでひとまず決着。

5月30日
定期的な外科問診 → 特に問題なし。
術後6年検診の予定を決める。

8月23日
術後6年検診 → 胸部超音波、CT
今回より骨シンチなし。

8月30日
術後6年検診結果 → 各検査 異常なし。
また血液検査は私が立ち寄るのを忘れたため…結果なし。
ホルモン治療も終えたため、3ヶ月通院もなくなり、次回は1年後の術後7年検診。


こうして時系列で記してみると。。。
思いのほか通院も多く、不安を抱えたり、 「 ア〜ダ・コ〜ダ 」 と訴えたりしていたんだなぁとちとビックリ。
もう乳がんワールドの蚊帳の外にいる気分なので。
懸念が足りないことは反省、しかし性格的なものなので仕方なし。
あまり囚われずに大らかに生きたい、活きたい、行きたい。

川柳日記は最近復活しておりますが、こちらは不定期更新が元気のシルシでありますので皆様 御機嫌よう*


posted by パト(PATO) at 11:17| 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月31日

乳がん記Q 〜術後5年検診〜

8月23日
胸部超音波
CT
骨シンチ
血液検査

8月31日
結果 → 異常なし

検査は10年目まで続くようですが、ホルモン療法のノルバデックスを続けるか否か。
あと3ヵ月後 考えてみようかと思います。

ひとまず昨日の空と今日の空が同じに見えてホッとしました。
まだまだイケル。


posted by パト(PATO) at 20:36| 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月21日

乳がん記 P 〜術後4年検診〜

7月21日

3ヶ月に1度の処方箋 ( ノルバデックス ) をもらうための通院日。
問診プラス久々に採血もあり。
術後4年検診の日程を決める。


8月12日

胸部超音波
CT ( 造影剤あり )
骨シンチ


8月18日

検診結果 → 異常なし


告知から4年半を越えました、感謝・感謝*





posted by パト(PATO) at 22:55| 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

乳がん記 O 〜術後3年検診〜

8月27日実施
・CT(造影剤あり)
・超音波(乳腺・胸部)
・骨シンチ
・採血

9月6日
結果→異常なし

大きな検査の前に先立ち骨粗鬆症を調べるための検査あり→異常なし

標準治療より1年延ばしていたゾラ注を終了。
今月より飲み薬のみ。

太り気味なのでカラダのため節制を心掛けよう。
posted by パト(PATO) at 13:25| 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月22日

乳がん記 N 〜ゾラデックス期間〜

術後2年検診の具体的な結果を聞きに病院へ。
画像を見ながら主治医が説明。
「今回はCTが造影剤なしだったけど、大丈夫でしょう」
ちと引っかかるその言葉。
でも気になる症状がない今は「ヨシ」として前進。

ゾラデックスは来月で丸2年、一応の目安を迎えました。

私 「再来月からどうしましょ?」
主 「あと1ヶ月考えれば?」
私 「先生の所見は?」
主 「ここから先は標準以上だから。
   生理が戻ってこなきゃいいけどなぁ・・・
    痛いのが嫌でなければあと1年続ければ?」
(随分アバウトな言い方〜これ主治医のクセ)
私 「多少の痛さは問題外」

私の模索

<続ける?>
* ホルモン治療の副作用が顕著に出ていない。
* 妊娠希望の有無→無
* 生理が戻る可能性が高く、それを先延ばしにしたい。
* 3年は続けている方も多くいる(ネットや書籍での情報)。
or
<続けない?>
* 明確な結果が無い。
* 過剰治療になるかもしれず、体調に変化が出てくるかも。
* 約16000円×12回の出費。

私の方針はチャンスがある場合は実行し、後悔なきよう万全を期す。
あと1年続けてみます。
posted by パト(PATO) at 23:41| 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月06日

乳がん記 M 〜術後2年検診〜

8月2日 術後2年検診。

10:30 胸部&腹部超音波
11:30 骨シンチ 検査薬静脈注射
12:00 CT(造影剤はややアレルギーがあるため投与中止)
14:00 骨シンチ

会計・23547円也

同時に23回目のゾラ注。

結果は8月10日予定。。。のはずが、本日主治医より留守電に伝言あり、ドキッ
「先日の検査結果は異常なしでした。こちらの都合で10日を変更してもらいたいので、明日にでも電話を下さい」
無事合格、ホッ。

手術当日の説明で、主治医は夫に「まずは2年頑張ろう!」と話したそう。
密かな目標にもしていました。
罹患発覚までの数年間私なりの困難続きでしたが、近頃は日に日に状況は変化し「明けない夜はない」を実感しています。
油断の出来ない病であり、臨終まで完治はわからないと肝に銘じていますが、また1年を懸命に進むのみ。

ゾラも来月24回目、満2年。
再考の時。
それについて熟考せねばなりませぬ。



posted by パト(PATO) at 21:11| 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月02日

乳がん記 L 〜治療開始3年目突入〜

告知から2年1ヶ月、術後1年7ヶ月。

先月は ー 。
3ヶ月(アバウト)毎の超音波 → 異常なし。
腫瘍マーカー → 基準値以内。

本日は18回目ゾラ注射。

体調 ー 。
ゾラ注、当日&翌日は倦怠感。
目立った更年期なし。
相変わらずホットフラッシュ未経験。
キーーーッ!となるイライラはホルモン剤のためか不明。
水分のとり過ぎか?生活パターンのためか?度々浮腫みが。。。特に指。

気になることといえば、味覚障害。
コーヒー党の私。
以前なら1日数杯、傍らにはいつもコーヒーという感じでした。
が先日2杯飲んだら、途端味覚障害発生!
それ以来舌が本調子ではありません。
ここ数日は日本茶や紅茶がメイン。
思い返せば、抗がん剤治療以来、油断をすると発生。

次回は夏の術後2年検診頃に記録予定。




posted by パト(PATO) at 23:59| 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月15日

乳がん記 K 〜術後1年検診〜

7月6日 術後1年検診日

9:00 骨シンチ 検査薬静脈注射
10:15 CT (造影剤投与)
11:00 骨シンチ     
12:30 腹部&胸部超音波

会計・30966円也  

7月13日 検査結果

転移の所見なし

会計・210円也

無事合格。
私の場合術前治療からだったので、骨シンチは1年半ぶり。
転移の有無以外に年齢的?体質的?自堕落な生活?からか気になることも少し。
婦人科検診も近々予定を組まなくては!

今のところ自覚症状はなく、6月のマーカーも基準値内だったので、心底心配していたとは言い難かったのですが、やはり直前になりドキドキ。
名前を呼ばれて診察室に入ると、笑顔の主治医。
「ヨカッタ〜〜〜」
と胸をなでおろした途端
「まだ見てないんだよ。。。」
「エエエエエエ〜〜〜〜〜〜せんせい。。。」
と冷汗が。。。

それにしても。。。お会計の差!
医療機器様には諭吉様。。。
主治医の診察・話には毎度のコトながら210円!
「泣けるね〜Mブー(主治医)」

追記

放射線治療の影響が今だ胸・肺に残っていました。

検査当日は風邪のため最悪の体調。
熱こそ下がったものの、声は出ず、咳込んでばかり。
それでも検査には支障なし、とのこと。
検査結果を聞く時もダミ声にて主治医と会話。
咳がひどかったため気管支炎など心配したけれど、体の中は異常なし。
一石二鳥の検査でした!
posted by パト(PATO) at 11:05| Comment(22) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月11日

乳がん記 J 〜術後もうすぐ半年〜

術後1年は3ヶ月毎に腫瘍マーカー&超音波&触診、
1年検診で骨シンチ&CT&マンモなどもという予定。
しかし現実はややアバウトで。。。
現在術後約5ヵ月半、マーカーは2度目ですが、超音波は初めて。
触診は放射線終了直後辺り(11月中旬)が最後。

マーカー、基準内。。。「ホッ」
ただ血糖値高し!
前回もそうでしたが、たまたまランチをデザートまで食べたためのようです。
ホルモン治療をしていると上がりやすくなるとか。
まぁ軽く気に掛ける程度でいいのかな〜!?

超音波も異常なし。。。「ホッ」

先週5回目のゾラ注射。
今まではチクッとするような感じだけだったけれど、今回は痛かった〜。
刺す時、注入する時ダブルで。
リューブリン変更も可能らしいので、来月以降続くようなら相談してみようかと。
主治医はゾラのほうが好きらしいですが!?

最近の体調は眠気、倦怠感。。。相変わらず。
むかつき、味覚障害。。。時々。
手足のこわばりはご無沙汰。
あと小さいけれどハッキリとしたシミが2つ増。

術跡は薄いピンクになり、だいぶ目立たなくなったよう。
放射線焼けも95%取れた感じ。
脇の違和感も少なくなり、全体的に触った感じも柔らかに。
患部側の腕枕も引きつれながらも、痛気持ちイイ感じ。

1年検診は私の場合いつなのか?と思っていました。
術前治療から始めたので、各種検査をしてもう1年。
術後1年でやるそうなので9月頃だそう。

次回記録はマーカー検査のある3ヵ月後くらいに記そうかと思います。
posted by パト(PATO) at 20:14| Comment(6) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月10日

乳がん記 I 〜リハビリ・放射線〜

Hと時期が前後してしまいましたが、リハビリは術後すぐに、放射線は病理が出てから始まりました。
記憶が薄れてしまっている部分も多々ありますが。。。

<リハビリ>

術後3日目より退院まで院内施設で開始。
15分ほどマッサージをしてもらう。

退院後、病院系列リハビリ専門施設にて行う。

9月9日  整形外科医診察 → 治療計画 
       レントゲン撮影
       療法士マッサージ

9月14、22、26日、10月6日
       療法士マッサージ

10月21日 整形外科医診察 → リハビリ成果確認
      (患部側右が左と比べて8割ほどの上がり)
       療法士マッサージ

マッサージ代 → 1000円前後

術後より腕の上がりは割と良く、痺れ&ひきつれ&違和感はありましたが、軽かった方だと思います。
自宅では家事や腕の上げ下げを意識的に行う程度でした。


放射線 クリック 

9月29日 放射線医診察 → 治療計画
      CT撮影
      マーキング(以後随時)

10月3日〜11月8日(土日祭日除く) → 25回(全50グレイ)
      患部胸&脇に照射 → 1回4000円弱

11月8日 ブースト照射のためCT撮影

11月9日〜17日(土日祭日除く) → ブースト照射5回(断片陽性のため)
      患部シコリ跡を間近で照射 → 1回3000円弱


回を重ねるごとに浅黒くなり(塗り薬処方有り)、眠気も増しました。
ピリピリするような痛みが時折。
重い副作用等はなく、順調に終了。

照射中は週1で放射線医診察有り。
週2で白血球を上げるという注射有り。
(コレは病院側の治験らしいです。)

放射線を当てることによって術跡が目立たなくなることもあるそう。
私も場合、言われてみれば?という感じくらいです。


リハビリ・放射線治療中も主治医(外科)の診察も週1くらいの割合で。
主に術跡の治り具合をチェック。
(ケロイド止め&怪我の時の塗り薬処方有り。)


この頃は慌しい時期でしたが、停滞しがちな気分を出掛けることで紛らわすことが出来てヨカッタ!
ほぼ月一通院になった今、妙に懐かしい日々です。
posted by パト(PATO) at 23:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月26日

乳がん記 H 〜術後3ヶ月〜

術後3ヶ月経過、放射線が終わって2週間、ホルモン治療が始まって2ヶ月。
もうすぐ3回目のゾラ注射。

体の様子を記録 − 。

眠気、倦怠感、むかつき、手足のこわばりが軽度有り。

イライラ&落ち込み(性格?!)もコンスタントに。

患者の悪い癖?ですが、次の2つが。。。
昨日から鼻で息をすると右上胸骨の辺りがやや痛い…。
昨日患部と反対側の上左胸にチクッと一瞬痛みが…前に感じたものと似ていて嫌〜な感じ。
取り越し苦労だと思います。。。

術前ネットで相談をした時アドバイスをもらった、私のようなHer2強陽性のホルモン治療の飲み薬はノルバよりもアリミデックス(閉経用飲み薬の一つアロマターゼ)が効くとの話。
このことに関しては、まだごく一部の治験のようなことかと思い主治医には聞いてみたことがありませんでした。
が、最近この話を時折耳にするようになったので気になって…。
もしアリミデックスを使うとして閉経前の私には保険適応外なので、混合診療(最近OK?)か注射もあわせて全額自費?となるのか、はたまた全額保険という方法(治験?他)が可能なのか。。。
どうしよう?? − またまた情報に振り回されているわ。
まぁいずれの治療も完治は保障できないから、これからの生活のことも考えて治療代もある程度押さえときたいし…やはり保険診療内でやるか!
(折を見て、一応主治医の見解も聞いてみよう。)

余談ですが、シミが出来やすくなるということで美白のお薬もらえないかな〜。
ついでにそのゴッドハンド(?)で口角も上げてもらいたいです、先生*
posted by パト(PATO) at 11:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月19日

乳がん記 G 〜病理結果〜

術後約3週間ほどで病理が出ました。

<病理の主な内容>

右乳房温存術&リンパ節郭清
(センチネル生検にて陽性のため追加切除)
乳頭状腺管癌 (硬癌)
腫瘍 1cm
乳管内進展 7cm
核異型度 2
リンパ管 +
静脈   −
リンパ節 1/13 (リンパ転移1)
ホルモン共に +
ハーセプテスト 3+(強陽性)

この結果を聞いて特別落ち込むこともなく想定内ではありました。
が、欲を言えば術前を行っているのだからリンパ転移については…肩を落としました…。
救いはホルモンがプラスのままでいてくれたこと。

私は術前から治療方針に迷う度、ある掲示板にて相談させてもらっていました。
ネット上の見知らぬ相手とはいえ内容の濃さから信頼できると確信してましたので。
その気持ちは未だ変わりませんが、私のことを一番わかっているのは主治医であり、決めるのは自分ということは意識していました。
アドバイスの影響もあり、Her2強陽性ということから術後の方針は薬剤はどれにせよ抗がん剤と思い込んでいました。
しかし主治医の意見は放射線→ホルモンでという意見。
私の嫌がることはしない…抗がん剤もどうしてもというのならハーセプチン+タキソールを3クールとのこと。
私は自分の得てきた情報をそれとなく主治医にぶつけ反応を伺いました。
国内外の治験などで得られた結果についての考え、それを私に行わない理由など。

*ハセプ+タキについては耐性が出来ている可能性が高い。
 (術前後半腫瘍の大きさが変わらなかった)

*薬の奏効率が私の場合1である。
 3・腫瘍がなくなる
 2・ほとんど腫瘍がなくなる
 1・腫瘍が小さくなる

*他の抗がん剤については効くかどうかわからない。
 術前を行った上であえて補助療法として行ってもマイナス面のほうが多いのでは?
 (副作用、金銭的など)

*ホルモンが共にプラスであり感受性が高い。

余談ですが主治医の考えはヨーロッパよりでホルモン重視。
アメリカよりだと抗がん剤ということも呟いてました…。

この内容だけで抗がん剤をあきらめてよいのかどうか…正直決め兼ねました。
一部の病院ではハーセプチンを術後も投与している、またCEFなど試す価値もあるのではないか…。
完治をさせるのは今しかないという思いが強く強くありましたので。

1週間考えましたー。

奏効率1と抗がん剤の過度な投与になるかもしれないということ、そして主治医の意見。

抗がん剤をやらないー。

甘いだろうかと思いながらも、うまく書けないけれど…書いてて涙が出てくるけれど…完治したかどうかなんて臨終になるまでわからないけれど、これで良かったと信じたい。

Hにつづく
posted by パト(PATO) at 01:27| Comment(19) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月16日

乳がん記 F 〜入院・手術〜

手術に向けての検査や準備を進めながら、漠然と「温存か全摘か」を考えていました。
夫は私の意思を尊重するとのこと。
主治医は何気なく温存を薦めているように感じました。
「いずれも100%の保障はない、ましてやfiftyfiftyなら過度な治療(手術)は必要ない」ということだったのでしょう。
もちろん私の年齢や家庭環境も考慮の上だと思います。
決定は手術当日の朝まででいいということ。
本やネットを参考にしても決め手はありませんでした、が経験された方や周りの友人に話を聞いてもらうことで自然と気持ちが固まっていったように思います。
決めるのは自分でも不安や迷いを聞いてもらうことにより自分の考えがより明確になり、奮い立たせてくれるような力が出てきたからです。
「本当にありがとう!」
幸運にも温存が可能になった今、過度な切除は必要ないー。


*入院の流れ(覚えているものだけですが…)

8月24日 入院 
心電図、レントゲン、動脈採血

8月25日 手術前日
採血、手術説明(夫も)、剃毛、入浴、手術物品確認
血栓防止ストッキング着用

8月26日 手術(約2.5時間)
医師による超音波
尿道カテーテルが気持ち悪い&酸素マスクはすぐとれる
絶食、点滴

8月27日 術後1日目
尿道カテーテルがとれる、歩行開始、医師による胸帯着用
点滴、昼食より有(おかゆ)

8月28日 術後2日目
点滴、普通食開始

8月29日 術後3日目
抗生物質内服、リハビリ開始

8月30日 術後4日目
抗生物質内服、リハビリ、ドレーン抜ける(夕方)
退院は2日以降ならOKとのこと

8月31日 術後5日目
抗生物質内服、リハビリ、下半身シャワー

9月1日 術後6日目
抗生物質内服、リハビリ、抜糸(朝)、全身シャワー
傷跡を見る

9月2日 退院
退院後生活の指導

会計 約22万円也

入院中は周りも驚くほど回復が早く、家族はもちろんのこと友人が多々お見舞いに来てくれたことがありがたかった〜。
また同部屋もお話好きな方々で笑って過ごせたこともいい思い出。

手術が終わり、これからが終わらない毎日の始まりだな…と感慨深く病院を出ました。
病理結果がぼんやりと気になりながらー。

Gにつづく


posted by パト(PATO) at 18:53| Comment(4) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月05日

乳がん記 E 〜術前化学療法〜

検診を受けて1ヶ月半、告知されて1ヶ月ほどして治療が始まりました。
サイクルは4週で1クール。
1週目ハーセプチンのみ、2〜4週目はハーセプチン+タキソール。
すなわちハーセプチンは毎週で、タキソールは1回休みの週がありということです。
それぞれの薬の初投与のときは入院にて行うのが病院の規則でした。

3月2〜7日(2泊3日)入院
ハーセプチン初投与 224r
(1回目のみ通常の2倍量、体重により算出)
目立った副作用なし

3月12〜14日(2泊3日)入院
ハーセプチン2回目投与 112r(以後この量)
タキソール初投与 90r
(1回目のみ少なめ、体表面積により算出)
目立った副作用なし

3月21〜22日(1泊2日)入院
ハーセプチン3回目投与 112r
タキソール2回目投与 105r
目立った副作用なし

以後毎週外来にて行いました。
外来でのだいたいの流れは

朝 8:00 採血順番受付 → 8:30 採血
  9:00 主治医診察(長くて5分くらい)
 10:00 点滴室移動
 10:30〜11:00 点滴開始
         吐き気止め飲み薬 レスタミン5錠
         ハーセプチン(1.5時間)→吐き気止め(10分)
           →アレルギー止め(30分)→タキソール(1時間)
 ハーセプチンのみの日 13:00頃終了
 両方投与の日     14:30頃終了

幸い白血球も3000をきることはなく、毎週休まず受けることが出来ました。
また入院&通院中はいろんな方と知り合え、、病気のことも忘れるくらい楽しく過ごせたのもラッキーでした。

副作用に関しては

*毛
 1ヶ月過ぎ 髪脱毛開始 → 3ヶ月始め ほぼ全部抜ける
 4ヶ月頃 髪以外の脱毛 → 5ヵ月頃 最後に睫毛がほとんど抜ける
*痺れ 3ヶ月頃〜 足裏がジンジンする
*浮腫み 3ヶ月頃〜 特に感じたのは手足の指、顔
*味覚障害 5ヵ月〜 醤油や塩の味がわからない
           甘味、酸味はマシ
*発熱   初投与3日後に38度の発熱→翌日には下がる
        3ヶ月目頃     同上
        6ヶ月目      同上

主なものこんなところでしょうか。
軽かったと思います。

効果についてはー。

1クール目には腫瘍の縮小が自分でも分かりました。
4月19日・超音波 & 5月24日・CTにて確認 (触診随時)
順調に腫瘍は小さくなってるようでした。
4クール目が終了する直前
「もう少し効果が見られるかもしれないので6クールまで延長してみる?」
と主治医から提示されました。
外国の治験では腫瘍がなくなる人もいたということですが、私の場合
「シコリがなくなるのは難しいかもしれないが…」
とのことでしたが。
まぁ効いてくれているのは間違いなのだからと即お願いしました。
そして5クール終わり超音波で確認したところ、ここ1ヶ月程サイズが変わっていないことが判明。
主治医曰く「そろそろ」とのこと…手術の日程を決めました。
最終的には手術直前の6クール3週目まで行いましたが、効果のほどは2.5cmのしこりが隣り合って2つありましたが(主治医は5pとまとめていいますが…)、1つのしこりは1cmほどに、もう一つの方はしこりとしてはなくなったような状態で超音波でみるとパラパラと数箇所に微細なものが残っている感じになっていました。

術前期間中、薬の奏効率や手術の時期など思い悩むことも多かったですが、自分なりに知識を蓄えられたのはいい時間だったと思います。

そしてもう一つ突然「温存」という降って沸いたような悩みが…。
温存の場合局所再発の場合がある、遠隔転移については全摘も温存もほぼ変わらない…Her2強陽性というお荷物がある私はなかなか決められませんでした…。

告知から半年、手術がやっと目前になりました。

Fにつづく
posted by パト(PATO) at 20:47| Comment(4) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月28日

乳がん記 D 〜リセット〜

検診を受けてからの不安、告知をされてからのショック、そして治療を始めるにあたっての希望、これが気持ちの流れです。
希望を持つにはそう時間は掛かりませんでした。

ここ数年自分なりに「辛いな〜」と思うことが続き、そこから抜け出せない状態でいました。
それを麻痺させるように慌しく過ごし、周囲の人にもそれを感じさせることは避けたかったので、自分の許容量以上のストレスを抱えていたと思います。
だから改めて考えると癌になったのもわからないではありません。
でも病気になって価値観が変わり、病院に通うことで自分の視野も広がり、少し楽になった気がしています。
「以前の問題プラス病気のこと」と悩みは増えたのですが…不思議です。
とりあえず転移が見られない、死ぬと決まったわけじゃない、心配してくれる人達がいるなど、ポジティブになろうと思えばなれる大小さまざまな材料のお陰かな!?
楽天家とも言えると思います、それさえ初めて気が付きましたが。

具体的には、子どもの進学問題、私の再就職、医療費の資金繰りが当面の課題。
私の再就職は事情を話して辞退しました。
やっと見つけた仕事でしたが、まだ働いてもいないのに休暇などとるわけにいきませんし…。
医療費の資金繰りはなけなしの貯金を…。
一番悩んだのが子どもの進学についてでした。
中学受験に向かっている娘をどうするか?
私がお尻を叩かないとやらない娘、金銭的にも余裕がなくなり、どう考えても方向転換が必要でした。
子どもに話をしてみると、(思うこともあったでしょうが)意図もあっさり受け入れてくれました。
今思えば私の見栄や欲が大きかったと思います。
病気になって余計なものを取り払いシンプルになった今、意外と毎日が心地良かったりしているんです。
こんなことでもなければ感じなかったコトでしょうね、私には。

術前治療の準備が整いましたー。

Eにつづく
posted by パト(PATO) at 18:22| Comment(8) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月25日

乳がん記 C 〜Her2 3+〜

術前の病理検査は以下の通りでした。

腫瘍      約2.5cmのシコリが2つ
転移の有無   超音波やCTなどでの画面上の転移なし
癌の種類    硬癌
悪性度     2 
ホルモン受容体 共にプラス
ハーセプテスト 3+

この結果が出て治療を開始するまで、病院間の細胞の受け渡しが遅く、また前病院ではハーセプテストをしていなかったため再度追加検査待ちのため約1ヶ月弱かかりました。

この結果に対しての主治医から提示された治療方針は、

1. 全摘手術 → 術後化学療法(抗がん剤) → 放射線? 
        → ホルモン

*腫瘍が計5pと大きいため、(皮膚移植もありかもしれない)
 大掛かりな手術となる。

2. 術前化学療法(抗がん剤) → 手術(温存の可能性有り) 
    → 術後化学療法(抗がん剤・やらない可能性有り) 
     → 放射線? → ホルモン 

*「全身に散らばった癌細胞を抑え、尚且つ腫瘍が小さくなれば」
 とのことで主治医はこちらを薦めてくれました。

化学治療の薬剤については、

1. CEA 6クール
2. AC 4クール + タキソール 4クール 
3. ハーセプチン + タキソール 併用して 4クール
  (効果が望めたので6クールまで延長しました。)

1&2番の場合、効かない可能性もある。その時は、即、手術ということでした。
しかし私の場合ハーセプテストが強陽性の3+だったので、3番でということとなりました。
ここで問題となるのが「ハーセプチンは保険適応では転移性乳がんにしか使用できない」という括りです。
効くことがわかっていながら使用できない不条理な話。
癌に関してだけでも多々あるようですし、何事も関わってみなければわからない悩ましいブラックゾーンです。
軽々しく幸いにもと記すのも気がとがめますが、私の場合、治験扱いで使用することが出来ました。
「効くとわかっているもの、使わない手はない!」
という主治医の考えのもとに。

Her2 3+については、やはりガックリきました。
いわゆる「進行が早い→転移しやすい」という縮図。
しかし特効薬と言われる薬がある。
ん〜、これも悩ましいですよね…。

またこの治療を始めるにあたって、費用の大きさにも驚きました。
体重や体表面積に比例して決める薬の量。
私の場合、検査なども含めてだいたい月16〜17万くらい掛かりました。
ウチの病院は外来はカードが利かないので現金です…。
高額医療で戻ってくる分もありますが、これからの生活のリセットをしなければいけないと慌しく考えました。

Dにつづく


posted by パト(PATO) at 15:53| Comment(7) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月24日

乳がん記 B  〜セカンドオピニオンと主治医〜


セカンドを考えたのは、検診に行った総合病院では、主治医が外部の医師となるし、設備の面で充実しているとは思えませんでしたので。
まずは近くで試してみて、納得いかなければ癌センターに行こうと漠然と決めていました。
2駅先の大学病院は、よく近くを通っていた生活圏内で歩いても30分くらいでした。
まさかここに通うことになるとは…。

前の病院で借りた資料と紹介状を持ち、初診に臨みました。
しばらく待っていると名前を呼ばれ、看護師さんが
「先生がセカンドは時間をかけてやりたいからということですので、午前中最後でもよろしいでしょうか?」
とのことで、1時間ほど待ったと思います。

初めて会った主治医の印象は、同年代なのに昭和を感じさせる分厚い黒渕の眼鏡を掛けた、妙に愛嬌のある初めて会った気がしないような感じでした。
前の病院の医師も感じのいい方でしたが、静かな物腰が妙に深刻な状況を感じさせ、病気に対して恐怖を覚えてしまっていました。
が、今回はテキパキと要点を述べ、治療方針も淡々と普通の話口調だったので、なんだか治るかもしれない!と気持ちが明るくなったのです。
相性の良さ感じ、即、お願いすることに決めました。
その日のうちに骨シンチと胸部超音波以外の検査を済ませ、残りの検査予約と、家族を含めた今後の話し合いの日時を決めて帰路に着きました。

今、思い返せば本当に直感は当たっていたと思います。
まだ先は長いけれど、現時点に置いて、主治医は私にとって最強の治療をしてくれていると思います。
最先端の医療を施してくれる病院でなくても同じような治療を行う医師がいる、逆に同じ病院であっても担当医によって治療に差があるなど、精神面でも考えさせられることがいろいろあることをこの時はまだ知りませんでした。

Cにつづく

posted by パト(PATO) at 00:19| Comment(4) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月21日

乳がん記 A 〜診断〜


1週間ほど日をおいて超音波、そして前回とは違う医師。
しつこいほど丁寧に同じ部分をなぞらえていました。
(マンモで怪しいものが写っていたからきっと要注意人物だったのでしょう…。)
さすがに不安になってきて
私  「怪しいモノの可能性がありますか?」
医師 「(力強く) もちろんです!」
私  「でもシコリがあったら可能性は皆あるということですもんね〜 (汗)」
医師 「ん〜そうですね………(突然)細胞をとってもいいですか?お金 が結構かかるけど」
私  「エッ、ア〜お願いします。」
この会話、なんだかとても覚えているんです。
乳がんとの出会いだったな〜。

注射で細胞をとる細胞診を終え「今度は乳腺の医師がいる曜日に来るように」と言われてしまった、トホホです。
その日が都合が悪いと伝えると「近々ある祭日でもいいから」とまで…。

そして数日後「予定よりも早く結果が出たから明日何時でもいいから来るように」と病院から電話あり。
ヨカッタ〜、明日は乳腺の先生の日じゃない!ということは怖い病気じゃなかったんだ〜!
とぬか喜びしながら、翌日は土曜だったので家族で出掛ける前にササッと寄ることにしました。

翌日10時過ぎに家族で病院へ。
決して混んでいないのに、アレ〜遅いな…私の後から来た人達がどんどん帰っていく…アレ〜また違う人が呼ばれた…アレ〜私達家族だけになっちゃった…。
やっと名前を呼ばれて診察室へ。
看護師 「ご主人もどうぞ…」
・・・・・・・・・。

今回もまた違う医師。
話し方がとても静かで深刻な話をするのだな〜という予感。
「〜〜細胞の検査の結果が5段階中4.5です。ほぼ癌に間違いないと思います。〜〜確実な診断をつけるため局部麻酔をして大きい針で細胞をとってもいいですか〜〜」
この時自然に涙がこぼれてきて、夫まで泣いていたけれど、
癌?ガン?がん?アレがん?私 ガン、エー癌かぁ〜
と内心こんな感じで意外と冷静だった気がします。

翌日は大きい針で細胞を取った穿刺吸引細胞診の消毒に再度病院へ。
昨日の医師が処置をしてしてくれて、今後の話をすることに。
昨夜は夫婦で乳がんの勉強を一夜漬け。
そしてセカンドオピニオンを近くの大学病院へお願いしたい旨を伝えました。

Bにつづく



posted by パト(PATO) at 10:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月20日

乳がん記 @ 〜検診〜

「私の乳がんの記録」です。
うる覚えのことも多々ありますが、数ある乳がん体験記の一例として読んで頂ければ幸いです。
治療が一段落しても要所で更新していきたいと思います。

今年も例年通り とても和む寝正月。
娘が寝転びながらじゃれていたとき
「おかあさん、固い!」
と私の胸に触れて言いました。
前々から何かにぶつかると特有の鈍痛があったので、とても気になり、夫にも確かめてもらうと、
「シコリがあるんじゃない?」

1月下旬から再就職が決まっていたので、その前にハッキリさせておこうと近くの総合病院の外科へ。
一日目は触診とマンモグラフィー。
その日は乳腺専門の先生ではありませんでしたが、あまり気にすることもなくお願いしました。
だって「まさか自分が…」という自覚のなさゆえ、念のための受診だったので。
触診はとても丁寧で小刻みに手を動かし
「う〜ん、ここに確かにシコリがあるね〜、この際しっかり調べときなさい」
というようなことを言われました。
それでもまだ気にせず、その後痛〜いマンモに臨んだのでした。

Aにつづく
posted by パト(PATO) at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 乳がん記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする