夫は私の意思を尊重するとのこと。
主治医は何気なく温存を薦めているように感じました。
「いずれも100%の保障はない、ましてやfiftyfiftyなら過度な治療(手術)は必要ない」ということだったのでしょう。
もちろん私の年齢や家庭環境も考慮の上だと思います。
決定は手術当日の朝まででいいということ。
本やネットを参考にしても決め手はありませんでした、が経験された方や周りの友人に話を聞いてもらうことで自然と気持ちが固まっていったように思います。
決めるのは自分でも不安や迷いを聞いてもらうことにより自分の考えがより明確になり、奮い立たせてくれるような力が出てきたからです。
「本当にありがとう!」
幸運にも温存が可能になった今、過度な切除は必要ないー。
*入院の流れ(覚えているものだけですが…)
8月24日 入院
心電図、レントゲン、動脈採血
8月25日 手術前日
採血、手術説明(夫も)、剃毛、入浴、手術物品確認
血栓防止ストッキング着用
8月26日 手術(約2.5時間)
医師による超音波
尿道カテーテルが気持ち悪い&酸素マスクはすぐとれる
絶食、点滴
8月27日 術後1日目
尿道カテーテルがとれる、歩行開始、医師による胸帯着用
点滴、昼食より有(おかゆ)
8月28日 術後2日目
点滴、普通食開始
8月29日 術後3日目
抗生物質内服、リハビリ開始
8月30日 術後4日目
抗生物質内服、リハビリ、ドレーン抜ける(夕方)
退院は2日以降ならOKとのこと
8月31日 術後5日目
抗生物質内服、リハビリ、下半身シャワー
9月1日 術後6日目
抗生物質内服、リハビリ、抜糸(朝)、全身シャワー
傷跡を見る
9月2日 退院
退院後生活の指導
会計 約22万円也
入院中は周りも驚くほど回復が早く、家族はもちろんのこと友人が多々お見舞いに来てくれたことがありがたかった〜。
また同部屋もお話好きな方々で笑って過ごせたこともいい思い出。
手術が終わり、これからが終わらない毎日の始まりだな…と感慨深く病院を出ました。
病理結果がぼんやりと気になりながらー。
Gにつづく
手術のこと、まだ遠い話のようで。抗がん剤疲れかな〜。すぐ手術出来る人がうらやましく、早くしたいと思ってたけど、このごろこのままず〜と抗がん剤したらどうなん?とか(そなあほなと思うけど)
わけわからないこと考えます。こりゃ、カワセミさんのオフ会で皆に喝いれてもらうしかない?
パトさんにも逢いたいよ〜〜〜。
いらっしゃ〜い。
私も術前中は現実離れしたようなコトに思えたよ。
慣れも生じてこのままずっと…なんてね。
でも否が応でも時は流れてたよ。
今思い返せば手術はホントに通過点と言う感じで、やはり術前&術後が本編!って思うわ。
治療疲れで精神も参るけど、死なない限り乗り越えなきゃいけないんだよね、どんなことも。
(近々日記にも書こうかな〜と思ってる、精神面について…自分を励ますために)
私もぶげままさんにも逢いたいよ〜〜〜。
情報の中をさまよいますよね〜結局がんは人それぞれであるということを痛感しました。泣きそー。
>「いずれも100%の保障はない、ましてやfiftyfiftyなら過度な治療(手術)は必要ない」
「過度な治療は必要ない」って、乗り越えるのには1つの山だと思う。patoさん温存して良かったと思うよ。決して温存、全摘出がどうこうというんじゃなくて、自分の判断で選択したってこと、、、
その勇気って自分のQOLを支える根底にあるものなような気がします。。。
それにしても、二度と手術したくないって思います。ドレーンが・・・・いやだああああ。
そうそう一人一人違うから悩ましいんですよね…。
病状だけでなく、(前にも書きましたが)その人のスタンスが重要となってくる…その違いを目の当たりに感じたことがあり躊躇しました。
癌という病気は自分で決めることが出来る反面、自分で責任をとらなければいけないんですよね…。
選択の山は越えたとはいえ、淡々とホルモン治療を続けていく先の長い暗闇を明るいものに変えられるよう気持ちをしっかり持たなければいけないよね。